ちんとんしゃんてんとん

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Queer eye Season3【Netflix】女らしい、を私らしく

アメリカで大ヒットしている近藤麻理恵さんの番組『KonMari 〜人生がときめく片づけの魔法〜』を観ているときに一番思ったのは『クィア・アイ』でしたが、『クィア・アイ Season3』を観ているときに一番思ったのは、ドレイクがスーパーで大勢の人の買い物を支払ったことでした。

 

ドレイク、スーパーの買い物客全員分の会計を支払う 総額はおよそ550万円!? | Daily News | Billboard JAPAN

 

 

こんまりさんの番組について、モーリー・ロバートソンさんが言っていることに深くうなづいた。「セルフ・ヘルプ」について。

 

モーリー・ロバートソン 近藤麻理恵(こんまり)アメリカ大ブレイクを語る

 

今の日本の状況も詳細は違うけれども、何だか似ているとは思っています。というか、地球全体にその傾向があるように思われます。差別され、分断され、社会からそう扱われた個人はとても傷つく。私も傷ついている、疲れている。だからこんまりさんの番組にどっぷりハマったのかなと思っています。そしてクィア・アイを観てもまた、そう思いました。そういう社会に疲れていて、誰かに「あなたは美しい」って言われないと胸を張れないぐらいになっているのかも、と。

 

こんまりさんの番組は基本的に自力で何とかする方法を教えてくれてサポートしてくれる。それそれでとても大切なサポートだと思うけれど、クィア・アイはそうじゃないです。魔法ともいえるNetflixのお金と心優しく才能あるFab5のお陰で彼らは見違えるようになる。今シーズンは特に自分の自信を喪失してしまった人が中心でした。そのキッカケは「女なのに」「黒人なのに」「自虐に安心する」「愛する人を失った」と様々だけれど、どこか自分にも共感できるが、根深いものです。

 

その中で印象に残ったのは、「女なのに」「黒人なのに」という理由で、自分のアイデンティティが揺らぐ依頼者たちとその彼女たちのケアについて。私も「女なのに」所謂日本人女性が行う当たり前について違和感しかなかった。そして「女らしい」という言葉は自分を狭めるものでしかないと思っていた。そんな言葉に縛られたくないと。でも、Fab5は、女らしいや黒人らしいという言葉はもっと自由な言葉だと示してくれました。その言葉のお陰で、「女らし」くはなかったかもしれないけれど、女性として生きてきた私の女性らしさが救われました。「女らしく」はなかったけど、確実に男ではない私も女性の中に居場所を見つけられた気がしました。

 

ドレイクの行為と全く同じとは思わないけれど、それが行われた動機は近しいものがあると思う。自己ケア(セルフ・ヘルプと同義と思っている、クィア・アイの字幕では自己ケアという単語がよくでてきたので、そちらを使う)の仕方が分からない人は大勢いる。それには自分の持っている力をもって、他人のケアをすることになるだろうし、もしかしたら他人からのケアでないと出来ない何かもあるかもしれない。他人から言葉、他人からの行動、自分では手が届かない購入した方がいい物、あったら生活にとても助かるもの、あったら嬉しいものをくれる人。そういう人がドレイクだったりクィア・アイなのだろうなと思った。もちろん、単なる慈善事業では全然ないけれど、それでもケアはされるべきで、されてる姿を観ることでこちらもケアを受けたように感じました。

 

自分の中のFab5にケアをしてもらいつつ、毎日元気に生きていこうと思いました。

 


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