ちんとんしゃんてんとん

好きな娯楽、ダラダラ日記、生活のことを書いている

【ただの日記】フジロック 2019でSIAを観た話

5年ぶりのフジロック行ってきました。子が私たち夫婦の元にやってきてから、なかなか行くタイミングを見失っていました。SIAが土曜日のヘッドライナーに決まり、そこから即決。(子は実家の両親の元へ)性格上結論から言いたいけど、何か今回はうまく言えない。最高だったのか、分からない。ずっと観たい観たいと思っていたSIAは、私が思うようなSIAではなかったけど、それがなんとも不思議と悪い気分ではなかった。でも、それを表現する言葉は、今のところ最高ではないとだけは言える。

 

 

基本的にSIAは愛を歌う人だと思っている。時に傷ついた自分を歌い、時に愛し合う二人を歌い、時に強くある自分を歌う。そこには愛があったと思う。彼女は歌い上げる人だから、愛を歌いあげていたと思っていたが、なかなかどうしてそうは思えないライブだった。

 

ここのところのSIAは顔を見せないパフォーマンスをしていて、Team SIAとしてパッケージングされたライブをしてきた。だからタイムテーブルはここ3年ぐらい、そんなに変わっていないようだ。だからダンサーが出てくるのは分かっていたし、SIAが音楽によって体を動かすこともほとんどないことは分かっていたのだけど、それでもそれをライブで観ると情報量が多すぎる。MVとリンクしているステージパフォーマンスの内容は、一定して苦しんでいる(ように見える)誰かが出てくる。

 


Sia - Big Girls Cry (Official Video)

 

苦しみは、希望や強さを歌いあげることでも表現できる。それを共に歌い上げることで希望に昇華することもできるかもしれないが、SIAはそうしない。ただ一人で苦しみを歌い上げる。私たちはそれぞれに、それぞれのやり方で受け止めるしかない。

私たちは孤独だ。それは大人数集まって、同じステージを観ているときだって、孤独なんだと思った。少なからず私はそうだった。夫が隣にいたって、そう感じた。

 

でも、ステージ全てが終わった後に、Team SIAの舞台裏のような映像(もちろんバッチリ演出されている)が流れた。すれ違うTeam SIAにハイファイブをしていくメインダンサーのマディー・ジーグラー(だと思うんだけど)。みんな笑い合い、たたえあっている。そして最後にはSIAがいる。もちろん彼女は笑顔だ。彼女たちは苦しみを表現するのに、共感しあって努力や工夫をかさね、表現しているのかもしれないと思うと、とても温かい気持ちになった。それこそが希望だ。私が共感する苦しみは、芸術においてそれだけの価値がある。それは自己をも肯定してくれるようだった。

 


Sia Titanium ( Live at All Access 2016)

 

Titaniumは最初、ビヨンセやリアーナが歌う予定だったと聞いたことがある。その2人が歌っても素晴らしくはあっただろうけれど、もっともっと揺るがない曲になっただろう。それこそ歌詞に合ったものになったかもしれない。それでも、SIAだから表現できるものがあると思っている。最近の曲はマンネリ化しているところも正直あるけれども、でも、今後のSIAもみていたいと思っている。