ちんとんしゃんてんとん

好きな娯楽、ダラダラ日記、生活のことを書いている

『フリーソロ』神秘に届く人

『フリーソロ』を観てきました。

夫が外岩を登るほど、クライミングが好きな人ということもあり、興味がありました。アカデミー賞もとってますしね。

freesolo-jp.com

 

アカデミー賞長編ドキュメンタリー部門 受賞

ポリコレがどうしても付きまとう最近のエンタメで、ポリコレも勿論フィクションにおいて必要だと思うけれども、そうじゃないフィクションも必要な訳で、そう思うと、そういったものからある意味距離を置いているように感じる『フリーソロ』が、アカデミー賞ドキュメンタリー部門でオスカーをとるって、なかなか味わい深いものがあるように思えた。

 

ストーリーライン(?)のシンプルさ

ただ一人の男がエル・キャピタンという、どう考えたって人間が登れる訳がない、落ちたら死ぬと分かっているような崖を、己の身体と少しの道具だけで登ろうというのだから、とてつもない。本能的に不可能だと思われることをやってのけたという話の流れからすると、とてもシンプルな映画だなと思う。そのシンプルさこそが、この映画の映像の力強さを裏付けているのかもしれない。

 

ボルダリングしたことあるけども…

ボルダリングを3回ぐらいだけどやったことあるんですが、映し出される全てが俄かに信じがたい…同じ人間とは思えない…パッと見じゃわからないような岩の凹みに足をかける、無理な体勢からでも登る、そして何よりあんなに長い距離を登り続ける体力、とんでもないことだと思う。私は体力がないほうなので、全然アテにならないけれども、ボルダリングジムの壁1回登るだけでも、結構体力を使う。ジムでロープクライミングもしたことはあるけれど、集中力はいるし(だって落ちるの嫌だもん)、姿勢を維持するだけでも疲労はしていくし(意外とキツい)、状況は把握しなきゃいけないし(次にどこに足をかけるか、手を伸ばすかとか)時間との戦いでもある。ていうか、私なんか拳サイズのホールドに足をかけるのだって、ハラハラするし「え、どこにかけるの!?」みたいなことがあるのに、あの人そういう足場がないのに登っていくわけで、ちょっと本当信じられない。

ということで、失敗がつきもののクライミングで、エル・キャピタンともなると失敗は許されない。何故って失敗したら、ほぼほぼ死ぬって分かるからだ。そんなこと誰がするのか?するんです、アレックスが。

 

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 ↑この人がアレックスさん、今回登る人です。

 

アレックス・オノルドという人

最初にフリーソロでエル・キャピタンを登っているアレックスが映し出されるから、観客はアレックスがエル・キャピタンに挑戦するんだって分かった状態で、この映画を観ていく。観ていくと分かるのは、アレックスは準備に余念がない人で、完璧主義者といっていい。母親の教えである「成功以外は全部失敗」というのを、そのまま人生で可能にしていくことこそが正義と何となく思っていそうな人で、失敗するぐらいならしないタイプの人のように思える。何回も何回もエル・キャピタンを繰り返し練習し、彼のノートにはびっちりと淡々と、エルキャピタン攻略の手順が書かれていて、それを記憶し、間違いの内容に準備していく。その緻密さが、彼の登れる自信につながっていくのを、映像を通して伝わってくる。

 

恋人の存在

それと同じ時に、彼には今までいなかったような大切な人ができる。そのやりとりも本当キュートで、見ていて幸せになれるのだけど、それと同時に「彼女の存在はフリーソロにはもしかしたら邪魔なのでは…」とも思うのだ。彼女と仲良くしだしてから、今までなかったような落下が2回おこっている。でも、彼は別れを選ばないし、フリーソロも諦めない。どちらかだけということをしないで、お互いがお互いに率直に関係を進めていく。勿論、アレックスのほうがワガママにはなりがちだけど、それにしても恋人であるサンニの思いやりには驚かされた。だって、彼が死ぬかもしれないのに、エル・キャピタンに登るだろうからって、その場を離れることなんてできるか?



撮影と撮影隊と

どうやっているんだろう。アレックスは1度挑戦するも、途中でやめる。観ている人が多いと、やはり色々左右されるようで、1人が好きなアレックスには向かないようだった。そんな中で、撮影隊はアレックスと深い付き合いということもあり、配慮し、細心の注意を払いながら撮影をしていく。これまた、下手したら死んじゃうんじゃないの、アレックスよりは安全だろうけど、みたいな感じで、そちらもハラハラする。そして、アレックスの姿をみて、ハラハラする姿にめちゃめちゃ共感する。

 

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クライマックス

まさにクライマックスといっていい、アレックスがエル・キャピタンに黙々と向い、黙々と登るシーンは、その信じられないような映像が全てを物語っているといってもいい。そこにはロープもないし、助けてくれるようなものが何一つとしていない。そんな中でも人間は、生死をかけながら自然と対峙することができる、自然と向き合うことができるんだと、神秘的なものに触れられるシーンだった。不可能だとかそういう言葉がいかに陳腐なものかと思わせられる。「完璧な気分」はこういうものなのかと思わせてくれる。才能とか、自分では理解できない人間の能力をそう呼ぶことがあるけれど、その才能というもので言い表せそうなものが、彼の努力と準備で埋め尽くされていくのが分かる。彼の努力が神秘に届いたのを映像として観た時の、圧倒される感じは、ドキュメンタリーという見せたいものを見せることになりがちなカテゴリーの中でも、その映像だけでそういうものを吹っ飛ばされる体験だった。

 

インスタグラムは撮影監督のジミー・チンさんです。いや、ほんとすげえ。