ちんとんしゃんてんとん

好きな娯楽、ダラダラ日記、生活のことを書いている

【映画関係無駄話】スカヨハが降板して思う、トランスジェンダーを演じるというアレコレ

スカヨハプロデュース映画『Rub and Tug』の主役を降板した

ニュースが7/14あたりに流れましたね。

 

経緯としては、実在するトランス男性ジーン・マリー・ジルの映画で

この方の役をスカヨハが演じるということに、

トランス俳優の方々をはじめ多くの方から批判があり、

一時それに対して反発めいたコメントを発表しましたが、

結果降板することになったということです。

 

 

 

考えなしの無知で恥ずかしいのですが、

私は何でトランスの方をシスジェンダーの役者が

演じることに対して批判が起こるのか

よくわかっていなかったのです。

別にシスジェンダーの人が演じていてもいいんじゃない?と。

 

でも、本質はそういうところじゃないんですよね。

 

シスジェンダーの人が演じることによって、

トランスの人の本当の性別は性自認とは違う性別であるという

偏見を(結局男/女、みたいな)強化させてしまう、

ということ。

 

あとは、トランスジェンダー俳優の方々に

シスジェンダーの役がまわってくるわけでもないのに、

ということもあるようです。

 

映画の中でも、有名俳優が出る映画は

ビジネス部分が大きいものが多いです。

映画『メッセージ』も主役を女性にするというだけでは

大きい会社が動かなくて大変だったと聞きました。

(結局エイミー・アダムスを主役にすることで

大きい会社が動きましたが…)

 

予算が動く動かないはおいておいて、

無名俳優だから作品がヒットしない、という理由には

今の時代なりませんし、

トランス俳優さんたちが出ている『POSE』というドラマは

アメリカではかなりのヒットをしています。

(早く日本でも観られるようにして!)

 

正直私にはトランスジェンダーの方々について

あまりにもわからないことが多いです。

シスジェンダー俳優がトランスな役を演じているのは

たびたび観ては来ていますが、それについても、

簡単に言語化することが出来ない感覚はありました。

 

ですけど、ちょっと最近『オレンジイズニューブラック』

を観ていまして、なんというかトランスの方々への感覚が

急にフラットになった気がしました。

なんといいます「あ、普通だ」というのが感想。

 

それまでは、性自認と自分の身体が異なるなんて

生きにくいだろうな、大変だろうな、みたいな

それはそれで間違った認識ではないんだろうけど、

それ以上に彼ら/彼女らはとても普通の人間だと

そう気づかされた気がします。

 

もっと言うと、それまでの過程と

その本人がどういう人かは意外と関係ない、といいますか。

 もちろん、尊重しなきゃいけないのですけど、

その人の感情の流れを理解するには

それまでの過程を知るのはとっても有効ですけど、

その人がどんな人かを判断することとは

関係ないな、と何となく思ったんですよね。

 

そこで思い出したのが『アバウト・レイ』という映画でした。

この映画の中では、エル・ファニング

トランスジェンダーの子の役を演じています。

 

エル・ファニングって『ネオン・デーモン』で

あんな役演じるぐらい、THEのつきそうなぐらい

かわいい女の子(あくまで個人的な意見)ですけど、

そんな子が性自認男性の役をするという…

 

これで私は先述している

「シスジェンダーの人が演じることによって、

トランスの人の本当の性別は性自認とは違う性別であるという

偏見を(結局男/女、みたいな)強化させてしまう」の意味を

理解しました。

 

私、この男の子(レイ)の中に、完全にエル・ファニングという

女の子を観ていた。だから、大変だと思っていた、と。

でも、それってトランスの方々にとって失礼なことなんじゃないか?と。

 

自分の身体の性と性自認が異なるからといって、

それは悲劇とかそういう劇的なものではないかもしれない、

ということに気付いたといいますか。

ただそれだけのことで、そこに自分が感じた感情を

勝手にのっけていいものではない、と思ったといいますか。

 

そしてそこでまた思い出す

『クイア・アイ』シーズン2 クィアに乾杯の回。

ターゲットであるスカイさんの手術シーンを観る

ファブ5から始まります。

その時観た私は正直感動してしまったんですよね。

何でかっていうと、

スカイさんの手術後意識朦朧としながらも、

やっとこの地に自分の望む身体で生きていけることの

喜びをすごく感じられたからです。

観ていいものかと悩むシーンではありましたが、

(本当にプライベートの極みみたいなことじゃない)

あぁ、こうやって手に入れられて、本当素晴らしいなと

思ったのです。

 

でも、結構クィアな方々からは批判された部分もあったようで、

その意見も改めてすごく分かるとも思いました。

すごく感動的であると同時に、それはトランスの方々への

イメージを固定させてしまうものでもある、と。

 

LGBTという言葉がありますが、

今はLGBTQIAとどんどん長くなってきている節があります。

それぐらい人間はいろんな面があり、

もしかしたらLGBTQIAだけでは言葉が足りないんじゃないか

と思うぐらいです。

そして、それは何かの理解を助けるという意味においては

重要ではあるけれど、決して本質ではないということを

この一連で感じ入ることができました。

 

私はシスジェンダーとして生きているけど、

自分のジェンダーについてはゆらぎがあることを理解しています。

だけど、揺らぎがある程度で、

その人たちのことを理解しているわけではありません。

どういう言葉を向けられたら不快になるのか、

いまいち理解しきれいている気がしません。

 

でも、こうやってフィクションやリアリティショーがあることで

私はその人たちの気持ちの分かるところ、分からないところを

自分なりに理解していければいいなと思いました。

 

多様性は豊かさ(by宇多丸さん)であると信じています。

もっともっと豊かな世界になりますように。

 

追記

『アバウト・レイ』は好きな映画です。

親子映画としてとても好き。

今思うと、子ども自体はそんなつもりないけど

親にとっては「娘を失う」ことになるんだなぁと

これまた難しい話だなと思いました。