ちんとんしゃんてんとん

好きな娯楽、ダラダラ日記、生活のことを書いている

『Us/アス』私の幸せは私の不幸の上に

「ゲットアウト」のジョーダン・ピール監督作品ですね。またもやホラー映画。

usmovie.jp

 

ホラー映画だけどびっくり要素がなくて、それがいいなと今回も思いました。それでも怖かったし、ドキドキするんだけど、変に脅かさない良心的?な作りがいい。それでもやっぱり怖いけど、それよりも胸が痛んだ方が多かったかな。単純に映画自体ファンタジー的な部分が多く、それをそれとして楽しむことも十分にできるけど、メタファーとしても捉えることができて、それも楽しい。

何で?どうして?って部分も多くて、それに関しての説明はないですけど(そういうところがファンタジーっぽい)、それはそれでいいかなと思います。そこを種明かしすることに、意味がないなと思っています。

 

白人コミュニティの中の黒人という”誰かを出し抜いているのではないか…感”

前作「ゲットアウト」もそうでしたが、ある人種で固まったコミュニティの中に多人種がいると何となく不吉な感じがするのか、それとも、これがそう撮られているのか…でも、オチの部分を考えても、これは意図的なんだろうなってのは思いました。

この映画全体のテーマでもあるのでしょうけど、最初っから誰かを不幸にしているような違和感がすごい。誰かが幸せってことは、誰かが不幸せ何だよと予感させる。自然がもたらしてくれる青空だって、単純に私たちは運がいいから見られる。

 

“We Are Americans”

不幸な誰かも、幸せな自分も皆んな同じ国土の人間で、どちらかが人間の形をモンスターかもしれなくても、それでも、同じ国土の人間なのよね、と、なんかその一言でハッとさせられた。レッドがWeと言ったのはオチから考えても、とても印象的だった。

 

レッドは試されている

教養と教育を受けていたレッドは、あの道を選んできたんだなと思うと、なかなか感慨深い。教養と教育の重要性を思わされると同時に、それの限界も見せられているなと思う。あのラストシーンが私には、高尚にみえました。もちろん不気味でもあるのですが。あんなこと私にはできないからです。本当ただひたすらに、一直線に手を繋いで、世界をまたぐことなんて、私には出来ません。あの人たちには常識や倫理観というものはありませんが、信仰と結束力はあります。それを思うと、凄まじいなと思うのです。同じ、もしくは類似する教育や信仰が前提にされた世界では、未知のものをどう受け入れるかというのが試されているなとも思いました。

 

同じ人物である意味

私は偶然にも、貧困を経験することなく、教養も教育も自分が望めば、限界はあるものの、ある程度享受できるような環境です。とても有難いことです。そうやって運良く、のうのうと暮らしている時に、私と似た誰かは貧困で劣悪な環境にいるという事実は、幸せに生きていく中で意識していかなきゃいけないことだと思いました。だから、どうするとかはありませんが、私はそれを認識し、意識しなきゃいけない。それがこの映画の意味だと思いました。

 

上野千鶴子さんの東大入学式の祝辞スピーチを思い出しました。

平成31年度東京大学学部入学式 祝辞 | 東京大学